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【日本三大仏】神戸にある「兵庫大仏」を撮りに往く。

どうも、けすけ(@keeesk7)です。

 

日本三大仏というものをご存知ですか?

「鎌倉の大仏」や「奈良の大仏」は容易に思いつくかと思いますが、残り1つを答えられる人は少ないと思います。

 

最後の1つは神戸にある「兵庫大仏」です。

 

神戸の街並みに大仏?となかなか想像がつかないですよね…

不釣り合いの景色がまた面白ったです。

兵庫大仏

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平相国廟

平安末期(養和元年1181年)平清盛公の薨去によって能福寺寺領内に墓処として平相国廟が造立されたといいます。
しかし、平家滅亡と同時にことごとく破壊され、能福寺は灰燼に帰しました。
以後、廟は再建されることなく、その存在を忘れ去られていたが、百余年後の弘安9年(1286年)平家一門の栄枯盛衰を哀れんだ時の執権北条貞時公はその近くに石塔を建て清盛公の霊を弔ったと伝わります。それが能福寺の南にある清盛塚です。

諸々の文献に「京愛宕山にて火葬荼毘に付し圓實法眼全骨を福原に持ち来たり・・・」又は「能福寺の東北に埋骨・・・」又は「和田山の法華堂に納め・・・」云々とあることから遷都をも決断したほど兵庫の地を愛した清盛公の遺言により遺骨を兵庫に持ち帰ったことを史実ととらえるならば、かつて能福寺領内にあった平相国廟が墓所と考えられます。

ホームページより引用

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兵庫大仏

日本三大仏のひとつ。初代兵庫大仏は明治24年5月に建立。
大政奉還により成立直後の明治政府の太政官布告により、神仏分離令が発布された直後から廃仏毀釈運動となって日本仏教界は壊滅状態に陥りました。


更に数年後居留地から発信されるキリスト教が盛んになったため、保守的な兵庫の人々は切支丹に占領されると危惧しました。

こうした時代背景を受け、豪商南條荘兵衛の一大発願により兵庫の民衆はもとより仏教全宗派を挙げて建立されたのが初代兵庫大仏です。
大仏は兵庫港に入港してくる舟乗りたちから神戸のランドマークとして全国各地に伝播して日本三大仏と称されました。
惜しくも初代兵庫大仏は第二次世界大戦の最中、昭和19年5月に金属回収令により解体されました。
しかしながら戦後、解体された大仏を発見した当時の住職が回収保管し、平成3年の再建時に混入することで旧大仏と現大仏を一体無二としました。
数奇なことに現兵庫大仏の開眼法要は旧大仏が開眼された日から数えて、ちょうど100年と1日後の平成3年5月9日でした。

ホームページより引用

 

f:id:yamapiclog:20220128004015j:plain青空のした鎮座する兵庫大仏。

 

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日本三大仏というだけあってでかい!座高11m!

でも、街並みの中にあるというのがなんか不思議。

 

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後ろに回り込むことも可能。

 

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當勝稲荷堂

當勝とは〝まさに勝つべし〟と読むことができる非常に勝負運に益するお稲荷さんです。阪神大震災で破損し、再建中。

 

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せっかくなのでおみくじ。

中吉でした!でもこれ内容的に中吉なんかな?

 

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自分の干支のところに結んできました。

おみくじを結んで帰るのはなんでなんでしょうか?

 

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月輪影殿(本堂)
本殿はもと東山の歴代皇族の墓陵「月輪影殿」にありました九条公爵家大正天皇のお妃貞明皇后さまのお里方)の拝殿で明治、大正、昭和の歴代天皇陛下が京都に行幸された際には必ずご参拝あそばれたといわれる最も由緒高き歴史建造物であります。 特に明治陛下がご参拝あそばされた際には、きらびやかに正装した女官数十人が本殿に侍り、陛下をお迎えした光景はさながら一幅の絵巻物のようであったと伝えられております。

奇しくも昭和二十八年(1953)宮内省九条家により能福寺に特別に御下賜され、移築されました。去る平成七年一月、阪神大震災により大破致しましたが、同九年十二月、檀信徒の総力を結集して旧姿に復しました。

重要建造物震災修復補助金交付認定建造物
ホームページより引用

 

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おわりに

日本三大仏。街並みの中で鎮座する「兵庫大仏」。

座高は11m、全高18mと街中にあっていいレベルなのかと思えるほど大きかったです!

 

平清盛によって兵庫港に福原宮が設けられた際には、平家一家の祈願時に定められた歴史の長いお寺です。

 

子どものころには奈良の東大寺の大仏を何度も拝みに行ったけど、まだ鎌倉の大仏は拝見したことがないので、コロナが落ち着いたらぜひとも行ってみたいものですね。

 

「日本三大〇〇」と聞くと行かずにはいられないくらいミーハー気質(笑)

でも、それくらい魅力に溢れ、歴史が長いものが多いため、大人になってから探究心が刺激される。

 

カメラを趣味にしていると、撮りたいものがとめどなく出てくるので生きている限り撮り続けます!

使用したカメラ / レンズ

カメラ:富士フイルム X100V

レンズ:ワイドコンバージョンレンズ